自然の学びを生かした住まいづくり35

・メダカの水はなぜ腐るのか?
・植物はなぜ朝日を必要とするのか?
・植物は根に影響を受けるのはなぜか?
・花ビンの花はなぜすぐにダメになるのか?
・食べ物はなぜ腐るのか?
・カーテンがカビるのはなぜか?
・低気圧は体調を崩しやすいのはなぜか?

私達が生活してゆく上に
色々と自然が教えてくれることが
たくさんあります。その住まいづくりを
かかげてみました。



仕事に責任感も任命感もない建築士

 本来、住宅計画の専門家は住む人自身でしたが、1950年につくられた建築基準法によって、住宅建築確認業務を円滑に行なうために建築士法が制定され、ペーパーテストによって建築法規を熟知した建築士という資格を与えるようになりました。それがいわゆる一級建築士といわれているものです。建築の代願士が一級や二級の建築士の仕事になったのですが、それがいつの間にか世間が一級建築士を熟達した建築専門家と見るようになったのです。資格さえあれば一級の専門家であるような錯覚に世間は陥り、建築士自身も実力の伴わない自負心をもつようになってしまいました。
 
 建築の仕事は飛行機や自動車を作るような高い精度や性能を必要としない単純な仕事ですが、どうでもよい仕事と思われるほど甘くはありません。しかし、ペーパーテストによるライセンスは、どうでもよい仕事をする専門家を大量につくり出したのです。その建築士たちが住宅観(住宅の理念)を追求することもなく、単に建築的手法だけで住宅計画をするようになったのが現代の住宅の抱える問題の原点となっています。つまり「住宅イコール建物」という概念によって設計しているだけで、住む人が生活していくうえでの利用効果や環境による作用などはまったく考慮していません。また顧客の将来における住宅に対するニーズの変化や、社会変化への対応もなく、今現在のとこしか考えずに住宅を計画しています。

 住宅は、誰のための何のためのものかという究極の利用目的は一切考えずに芸術家気取りで造形にだけ執念をもつ専門家は許されるものではありません。住宅の本質をわきまえずに住まいを計画した結果、その家族にもたらす影響がどれだけ重大なものになるかを理解していないのです。私に言わせれば専門家として責任感や使命感のない建築士たちが多いのが現状です。

 建築家たちは住宅に「見せ場」をつくることには懸命ですが、その見せ場が何の目的かをはっきりとはさせません。そうすることでどのようなメリットがあり、どのようなデメリットが生じる可能性があるか、それ以上によい方法はないだろうか、などいろいろな方面から検討することはしないのです。ただ単に感情と感覚によって場当たり的に計画しているにすぎません。

 幸せを生む住まい 間取りは住まいの命
  ウシキ株式会社
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